行くぜ、Take me higher【舞台「Paradox Live on Stage」感想】

 

最高~!!!

これこそ私が生み出した幻影では?と思うほど、ストライクゾーンにグサグサ刺さりまくる舞台だった。

小さい時にダンスのヒップホップを習ったことがあったからヒップホップのノリは好きで、ラップも好き、つばさくんのダンスが大好きで、紫のアイシャドウも好きだし、推しのチョーカー姿だって好き。好きな人の色のペンライトを振って、好きな人の名前のうちわを持って応援ができる。

これが全部パラステに詰まっている。

え、やっぱり幻?
いや、幻ではない。しかも、続きがある。

新たな矢戸乃上珂波汰に出会う前に、現時点私の中の珂波汰を整理しておきたいから、またここに書き残しておきます。


◎理想だけでは語れない

パラライのキャラクターは、家族に関わる部分で傷を負っている人が多い。それは、家族が人の根幹に関わる大事なことで、それなのに形が決まっていないからだと思う。

14人いれば14人分の家族の形がある。矢戸乃上兄弟だってよく見れば思い描く家族の形はきっと違う。
パラステは、そんな無限にある家族の形全てを肯定した。

悪漢奴等の玲央が「僕の家族は自分が一番可愛い人ばかりだった」「別に嫌いってわけじゃないよ」と言ったのが印象に残っている。

家族とはそういうものだと思う。
産み育ててもらったからといって無条件に尊敬できるわけでもないし、自分の子どもだからといって慈しめるとも限らない。それでも愛を捨てきれないことだってある。
アンも母親を毒親と称しながらも、愛し愛されたいと願う。

しかし、それを否定する人は誰もいなかった。1人1人が負った傷を認め、トラウマを抱えて生きようとする姿を受け入れ合っていた。
それぞれの家族の形を否定せず、自分で選び取った家族、一度距離を置くことにした家族、血の繋がった家族、全てを大事にしていた。

パパがいて、ママがいて、聞き分けのいい子どもがいるだけではない世界を肯定してくれているところに私は惹かれた。パパがいなくても、ママがいなくても、聞き分けがよくなくても、親と分かり合えなくても、生きていける世界を描いたことで、救われる家族や、踏み出すきっかけになる家族がいくつもあると思う。


◎行くぜ、Take me higher

ここからは珂波汰の話。

珂波汰は那由汰を守ってきたように見えて、実は珂波汰が守られていたのではないか、というのが私の中の珂波汰像だ。

那由汰に「もっと外に出ろ」と言われた珂波汰は「1人になんかするなよ」と泣きながら縋り付く。1人でいることに怯えるかのように。

普段はクールに見せている珂波汰が笑ったり怒ったりして那由汰の話をはぐらかそうとして、しまいには泣き崩れて自分の感情を露わにする様子から、珂波汰の中でどれだけ那由汰か大きな存在であるか、痛いほどに伝わってきた。
その理由は、単に2人が双子だからというだけでは語れないと思う。

施設を飛び出し、スラム街で生活していたことから、2人の生活は過酷であったことは想像に難くない。

それでも珂波汰が生き抜いてこられたのは、那由汰の存在があったからではないか。珂波汰にとって、那由汰を守ることが生きる意味で、那由汰を守るために生きていた。1人だったら自分の命を粗末にしていたかもしれない。
だから、那由汰と離れた自分を想像して怯える。生きる支えを失った自分の末路を考え震える。

そしてそれは那由汰にも言えるのだろう。珂波汰に守ってもらった命だから生きなければならない。自分の命は珂波汰の上に存在しているのだから、珂波汰がいなければ生きられないのだから、自分よりも珂波汰を1番にしたい。

だけど、2人の生活はあまりにもギリギリで、あまりにも近かったから、それを伝えてこなかった。言わなくても伝わっている、わかっていると思っていた。当たり前すぎて本人さえも理解していなかったのかもしれない。
だから珂波汰は過保護で一方的な関わり方しかできないし、那由汰は突き放すようにしか言えない。

それに気づいたのは、珂波汰が悪漢奴等に出会ったことがきっかけの1つだろう。

「他のやつ、そんなもん知るか」と言っていた珂波汰は、悪漢奴等の家族の話を黙って聞く。それまで背中を向けたりして那由汰以外に向き合うことの少なかった珂波汰が、自分たち以外の他の家族の話を真っ直ぐに聞く。

別のシーンでリュウが「トラップ反応が起きないってことは、誰とも繋がれてないんじゃないか」と言うが、この時、珂波汰は自分の過酷な生き様を悪漢奴等の人生に重ねたのではないか。紗月のアンダーグラウンドな場所で生きていこうとした気持ちや、玲央の親を頼れない状況、北斎のレッテルを貼られて生きる苦しさと重なったからこそ、珂波汰に悪漢奴等の言葉が響いたのではないかと思う。

ほぼ初めて、“俺ら”以外の家族の話を聞いて、自分たちの他にも大人に恵まれなかった人がいて、自分の他にも家族に並々ならぬ思いを持った人がいることを知った。
だから悪漢奴等との別れ際に、「家族に秘密があったらどうする?」と聞いた。この家族なら、自分の痛みや苦しみを受け止めてくれるんじゃないかと思ったから。

無意識的にだとしても、珂波汰は他の誰かと繋がった。繋がったことで、家族でも伝えないと伝わらないものがあること、かけがえない家族が今ここにいて、自分を支えてくれていることの尊さに気づいた。
それをどうにか伝えようとしたのが伝わって、那由汰は改めて2人でいるための手段として変わっていくことの必要性を伝えられたし、珂波汰もそれを受け入れた。

きっとこれから2人は、やっと2人以外がいる世界で、それぞれの価値観が変わっていく中で、お互いに歩み寄って擦り合わせることに戸惑いながら、最強を更新していくんだろう。


とここまで少ない情報をかき集めて考えてみたけれど、珂波汰にも那由汰にも謎が多すぎる。

命に関わる秘密、四季との関係、珂波汰がメタルの侵食を恐れていること(メタル使用による死に言及していたのは珂波汰と匋平のみ)、全部含めて珂波汰と那由汰の結末についていくつか自分の中で想像してみたけれど、こればかりは先を見ないことにはわからないので、どんどんパラステが続いてくれたらいいなと願う。


◎色褪せないデイドリーム

やっぱり踊れる人が好きなのでつばさくんのダンスやパフォーマンスの話をします。

全部の瞬間が本当に本当にかっこよかったんけれど、
Rap Guerrillaの2番サビ後のステップ、
「目に物見せてやるぜ」の表情と余韻の残し方、
Get itやThis is My Loveで歌詞のメロディを拾うところ、
Back Offで後ろのスネア音(?)を拾うところ、
Fight For The Prideで依織と向き合う時の表情、
が特に好きだった。

過去にグループ活動をしていたのは知っていた、
歌が上手いのも、踊れるのも知っていた。
でも、知っていた姿よりも目にした姿の音の取り方、身体の使い方、重心の置き方、歌い方、表情、全部が大好きで最高にかっこよかった。
とんでもない人を好きになってしまったなと思った。

毎秒かっこいいから失念しそうになるけれど、”かっこいい”は貴重だ。つばさくんは当たり前のようにかっこいいけれど、かっこよくいるのは簡単ではない。

”かっこいい”は、その人が何を見て何に憧れてきたかで変わると思っていて。
ダンスなら、同じ振り付けを踊っても、同じ人にダンスを習っても、踊り方は絶対に一緒にならない。ジャズダンスやバレエの経験がある人なら振り付けの間にしなやかさが見えるし、K-POPが好きな人なら無意識のうちにそれに寄るし、アイドルが好きならそうなる。
だから、つばさくんがあんなにもかっこいいダンス見せてくれたことはもの凄い奇跡だ。つばさくんが摂取してきた色んなものがあの動きとリズムを作った。その全てに感謝したい。

そして、それは演技や歌、他の表現にも言えることだと思う。
つまり、あの舞台の上にいた珂波汰はつばさくんが積み重ねて来たものを成分にして出来た珂波汰だった。そう思うと、珂波汰がより愛しくなるし、つばさくん本人への関心もより一層強くなった。

だから演劇も面白いなと思う。
生身の人間が経験したこと、考えたこと、感じたこと、が混ざりあってその時その場所だけの形になる。
表現が全て役者本人と重なるとは思っていないけれど、色んな姿を見て、何を考えているのか、何を感じたのか、ぐるぐる考えている時間が好きだ。

だから、もっともっとつばさくんが表現する人生を、世界を浴びたい。

幸運なことにこれから毎月そんな時間が叶うので、その貴重な機会の1つ1つを大事にしたい。