痛みならもっと強い方がいい【東映ムビ‪×ステ 舞台「仁義なき幕末 -令和激闘篇-」感想】

 

10年前の私に言いたい。将来、君が応援している役者がヤクザ役をやるぞと。

それくらい、ヤクザものの世界観が好きだった。だってオタクはみんな酒と女と煙草と暴力に塗れたイケメンが好きじゃん?(誇大表現)
とにかく、私は好きな人が柄シャツを着る度にこれは最早ヤクザじゃん?!と言って騒ぐくらいにはヤクザ役に憧れがあった。

そんな私の元についに推しのヤクザ役が巡ってきた。ヤクザ役が確定したその瞬間から毎日推しが演じるヤクザについて考えていた。

私は、物語の中のヤクザは大きくわけて3つに分かれると思っている。
1つ目は純粋ヤクザ。任侠に生きる、所謂主人公タイプだ。
2つ目は狂いのヤクザ。裏切りや残虐な殺し方を嬉々として行うようなタイプ。
3つ目は道化のヤクザ。ドジが多かったりもするが、殺伐とした空気感を紛らわせてくれる愛されキャラ。

推しはどのヤクザだろう。全てのパターンで何度も脳内シュミレーションをした。

結果として、つばさくんが演じた尾崎水月は全てのタイプに跨るヤクザだったように思う。

序盤の尾崎の台詞「俺馬鹿だからわかんないっすけど!」や、漫画「幕末入門」を勧められるところからすぐに尾崎は道化のヤクザなのだとわかった。抗争シーンの尾崎は、戦い方さえも道化で、そのコミカルな動きと愉快な百面相が愛しかった。

しかし、物語の中盤、尾崎は桂から大友が村田を殺害したことを告げられる。そして尊敬する村田の仇を取るために、兄貴分である大友に銃を突きつける。

新撰組を初めて見た尾崎は「こいつら人を殺すことに躊躇がねえ!」と恐れ慄く。抗争シーンでも目立った成果のない尾崎にとって、命を奪うことに痛む良心がまだ残っているのだと思う。そんな尾崎が身内であったはずの大友の殺害を企てる。大友に銃口を向けながら、泣き出しそうな顔を必死に歪めて歯を食いしばる様子から、尾崎の村田恭次と村田組に強い思いが痛い程に感じられた*1。この痛い程の強い忠誠心は純粋さと捉えられるだろう。

一方で、尾崎が大友に銃を向けたのは、村田への忠誠心だけが理由ではないと思う。蘭月童子の「僕は好きなんだ、胸の奥に隠していた本心を晒して戦う人間が」という台詞がある。村田と大友が現代から姿を消した頃からか、もっと前からか、大友への不信感や不満が尾崎の中のどこかに微かにでもあったのではないか。大友に銃を向けるシーンで、信じたくない事実を前に苦しそうにしている日もあれば、裏切り者である大友ただ一点だけを睨みつけ重たい覚悟を背負ったように見える日もあった。どちらの感情も主成分は村田恭次と村田組への忠誠心だ。後者は忠誠を誓った尾崎だからこそ、“大友を殺る”という極端な結論しか見えなくなってしまった、純粋さが狂いに転じたと言うことだと思う。そして、それ程の重たい覚悟を決めたにも関わらず、尾崎は大友も龍馬も殺すことができず、誰に悲しまれるでもなく、1人呆気なく死んでいく。そんな悲しい最期も尾崎の狂いを引き立てていた*2

道化でありながら、純粋さを持ち、その裏に狂った部分を隠し持っている、そんな尾崎をつばさくんが演じたことがとても嬉しい。それは尾崎が一石三鳥の美味しいヤクザ役だったからという理由だけではない。

舞台「仁義なき幕末」の幕が上がる約1か月前に行われたつばさくんのカレンダーイベントで、尾崎という役はつばさくんに当て書きされた役だと明かされた。
最近のつばさくんが演じる役は信念と気合いで表せるような真っ直ぐな性格が多かった。それは、つばさくんの真っ直ぐなお芝居が評価されたことが理由の一つだと思う。けれど、もしも、このまま真っ直ぐな役が真っ直ぐな役を呼び、そのイメージがより強固になってしまうのだとしたら少し寂しいなと思っていた。
前半の尾崎は、真っ直ぐに村田組への仁義を誓い、時々陽気さを見せ、近頃の役と通じるものも感じた。しかし、その純粋さ故に桂の言葉を信じ、暴走し狂ってしまった。
つばさくんの強みである、真っ直ぐさの先に暴走や狂気を見出されたことが嬉しかった。私は、つばさくんが時々言う“自分が演じさせてもらっている意味がある”という考え方が好きだ。役者と役はイコールではないけれど、役者のその日までのインプットとアウトプットの結晶がお芝居に表れるのだと思う。つばさくんがこれまで演じてきた役もこれから新たに出会う役へ繋がっていくのだろう。これからもつばさくんを通して沢山の知らない人間に出会えるのだと感じて胸が高鳴った。

この期待があるから私は生きているんだと思う。誇張ではなく。だとしたら重たいけれど。
今回、感想を書くにあたって、「悲しみ 類語」「怒り 類語」のように類語を何度も検索した。己の語彙が尾崎の感情に追いつかなくて。そんな風に私のキャパシティを軽々と飛び越えたお芝居にこれからいくつも出会うのだろう。その度に頭を抱えていられるのなら、こんなに楽しいことはない。

 

 

*1:大友に銃を向ける尾崎は、日によって違うだけでなく、毎秒違う表情を見せた。憤怒や悲痛、恐怖、覚悟、不信、様々な激情を零しながらも必死に押さえ込もうと苦しみながら叫ぶ尾崎を見ている時間は苦しかった。苦しさを感じる程の表現を浴びている時間が楽しくて仕方なかった。

*2:死に際の尾崎がめっちゃ良くてさ……
無言で死んでいく日もあれば、呻きながら死んでいく日もあって、そのどちらもめちゃくちゃ良かった。
無言で死んでいくと、尾崎は桂に利用された駒でしかなく、尾崎の決死の覚悟とそれに見合わない結末の対比が強調されたように感じて、見ているのが辛かった。
一方で、呻きながら死んでいく時、尾崎は銃弾を受けながらも最期まで引き金を引こうとしていた。駒として使われた尾崎にも、意思がありこの結末を選んだのは尾崎でもあるんだと思うとまた苦しくなった。